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愛犬若葉…突然の旅立ち“虹の橋”へ
10月23日、元気に午前中は家族で公園に遊びに行きました。
健康そのもの…というウンチもして、夕飯もいつもと変わらず美味しそうに食べた若葉。
深夜12時ごろ、暑くもないのに呼吸が早い。
緊急動物病院へ行き、心臓と弁膜症…急性のため、利尿剤…注射…5分後ぐったりして急変…鼻血…呼吸が乱れる
獣医から、このまま入院しても朝までもたない。家でゆっくりして、もし生きていたら主治医の病院へ行くようにとすすめられた。
深夜だったこともあり、一人で病院に来ていたので、自宅で待機してくれているお嫁さんに電話。
私は若葉の体勢を整えていなければならないので、ワゴンカーで主人に迎えに来てもらう。
2時30分帰宅…
主人とお嫁さんが置き去りにしていた車を取りに出た。
呼吸がラクにできるように、腹ばいになる姿勢を取ることと言われていたので、私の体に板と毛布を乗せ若葉の顔を胸あたりにして、ずっと撫でていた。
部屋はちょっと暗い方が落ち着くと思って、薄暗くしていた。
クッ・クック…と背を伸ばすような姿…その後、息が薄くなる。
息を引き取るまで、撫でながら若葉に話しかけている。
呼吸が早くなってから、旅立ってしまうまで、3時間しかない…
3時10分、旅立ってしまいました。
それまで、ほんとうに…元気だった若葉。
我家に来る前にチェリーアイの手術をして、他に水頭症の疑い、遺伝性の心臓病と気管虚脱があり、ご飯を上を向かないと食べにくいということがわかり、手でご飯を一口ずつ食べていた若葉。
それでも、元気に10年間過ごしてくれたんです。
私は、このまま年を重ねてくれると、疑いもなく思っていました。
心を整えなければ…
今日は初七日です。
私はこの数日どうやって生きていたのか…
悲しみしかない。
あたたかい若葉に触れることができない…苦しい
旅立ってから火葬場にいく1時間、町から山に向かいとても景色がよい動物専用のお寺と火葬場があり、お葬式をしてくれる東海動物霊園に行きました。
泣いて…泣いて…泣いて…どんなに時間がかかっても、ジッと係の方は私達が納得できるまで、待っててくれます。
火葬中の待ち時間では、動物霊園内で待つのですが、いっぱい愛された子達の、かわいいお墓と花と風車が並び、こんなにも多く愛された子達がいるのかと、とても安心した気持ちになります。
私はこの動物霊園が好きで、いくつもの動物霊園を通過して、東海動物霊園さんに行きます。
とても安心するんです。
でも、帰り道は小さくなってしまった骨壺を抱いて、また泣いて帰ってくるんですけど、そのいくつもの流れが、心にひとつひとつ刻まれて、時間を過ごしていくことはとても大切なことだと思っています。
昨日(日曜日)には、お世話になっていたかかりつけの動物病院と若葉の美容室にご挨拶に伺いました。
動物病院の先生は、チワワの心臓病が多いことや、生まれてきた若葉の状態で10年生きられたことは奇跡の時間とも言ってくださいました。
美容室では、長年お付き合いさせていただいている男性経営者の方と親しくなれて、いっしょに涙をうかべ若葉を忍んでくださいました。
若葉が旅立って、外に出ることがなかったのですが、若葉をよく知ってくださっている方とお話ができ、頑張った若葉・かわいかった若葉の話ができて、気持ちが少し落ち着いてきたようにも感じます。
そういうかたちで、時間をかけて気持ちの整理ができていくものなのでしょうね…。
私は自分のお墓といっしょに若葉も入れるお墓を検討し、歴代の動物達と共に建てるつもりでいます。
家族も賛成してくれているので、若葉はこれからもずっと私や家族が一番多くいる居間のお仏壇の中にいます。
49日までは扉を開けたままにして、それ以降は扉を閉めると、大きなフォトBOXになるようになっています。
きっと、家族と共に、いつものソファーでくつろいでくれていると思います。
ペットロス
以前、自分自身で「ペットロス」について綴っています。
動物をむかえる人は、誰もが覚悟していること…それは
動物たちは必ず、私達より先に旅立つ
とても辛いことだけど、動物達にとっても安心できる環境の中で、旅立ちができることが、私達が最後にできる愛情だと、頭ではわかっています。
覚悟しているはずです。
でもね…
それでもね、その日がくると、その覚悟はどこにいってしまったのかと思うくらい、取り乱し受け入れられない…。
そのくらい、存在が大きくなっているんです。
私は、小さいころから犬が大好き。
ハイハイをしてつかまり立ちをする1歳前のことです。
昔は平屋で横のうちと地続きの家が多く、私は隣の犬小屋の中で犬といっしょに寝てしまって、行方不明状態になり、警察を巻き込む誘拐騒ぎを起こしたことがあるようです。
私は、それほど犬といっしょにいたい気持ちが強いようです。
犬が飼い主に依存してはいけない…と、言われますが、私は逆で、私が若葉に依存していることは、わかっていました。
私の母親がガンで闘病生活をしていて、介護を要する車椅子の生活をして他界、子供達は成人し結婚と、生活がガラリと変わった時に若葉が我家の子になって、その後私が更年期障害で辛い生活をしていたりと、私にとって大きな動きがある時期でした。
仕事ができなくなった私に、若葉はそっと寄り添っていてくれたことから、私はあの子に守られていたと思うのです。
若葉といっしょに楽しみたいという思いから、私は健康でいることが絶対と思っていました。
このTOMOIKUのブログを立ち上げているきっかけになっています。
今の私は悲しみのどん底なのか、精神的に“生きよう”という力がなくなっているかのように、全く食べられない…全くお腹が空かないのです。
この数日、若葉の体調が悪くなった数時間、判断したことが本当にそれでよかったのか…
「もし、あの時…・・していたら…」
若葉を一番に考えていた行動したことに間違いないのですが、後日主治医の獣医さんに連絡して状況を説明しても、ネットで調べても、どうしようもなかったことは、頭で理解できているのに、心がついていかないのです。
人は結果が自分のイメージと違った場合、選ばなかったもう一方の可能性を考えてしまいます。
緊急病院に行かなければ、急変しなかったのではないか?…でも、病院に行かないで急変したら…と…ずっと苦しむ
心の中で
たったひとつのことが望みだった。
若葉といっしょにいたいだけ
ずっと、若葉といっしょにいたい。
どうして、突然死だったの?
なぜ、ここに若葉がいないの?
頭では理解できていても、今は心がついていかない。
若葉を想い、ゆっくりと時間をかけていくしかないことも、頭で理解しています。
若葉はきっとそばにいてくれている…心の中にもいる…
でも、溢れる涙をとめることができない…。
自然に寄り添う若葉
泣き続けている私ですが、若葉が旅立った日から孫も高熱を出して、寝込んでしまいました。
孫とは兄弟のように過ごし、いっしょに成長しています。
母親に怒られて泣いている孫に、そっと若葉は寄り添っていたのです。
孫たちのお昼寝のお布団でいっしょに寝たり…どちらかというと、孫を守っているように見えます。
孫に虹の橋の話をしたのですが、やはり私と孫は「会いたい…」という気持ちが強く、泣き叫んでいました。
しかし、旅立ってから5日目、孫が「ポストにお手紙が入っていたよ…」と、私に渡したものは、若葉からの手紙でした。
孫が自分で考え、泣いている私に若葉の気持ちを伝えたかった…と言っていました。
「じぃじ、ばぁば、私は今しあわせにくらしてるよ。じぃじ、ばぁばのことまってるよ。わかばより」と書かれています。
虹の橋の話を受け入れたのでしょうね。
おはよう。行ってきます。ただいま。おやすみ…と、若葉を撫でていた習慣は、今では写真の若葉を撫でて挨拶しているんです。
その姿が、どうにも涙が出てしまう。
下の孫は、骨壺を見つめてから、涙をためて「ばぁば、若葉ちゃんを連れて帰ってきて」と毎日頼んできます。
まだ4歳になったばかりなので、“死”が理解できないようです。
私は、若葉はそばにいるよ…と言うのですが、言っている私が泣き出してしまうので、孫は私に抱きつくしかないのでしょうね…。
そして、泣きすぎて目を開けられなくなってしまった私に、上の孫がレモン入りの紅茶を入れてくれます。
「スッとするから、目にいいかもしれないよ」…と…
こんな小さな孫に気を使わせてしまって、申し訳ない気持ちで孫に謝ったら、「子供が死んじゃって元気なママはいないんだから、いいんだよ」と…。
そういう一言、一言が、泣けて仕方がありません。
きっと、若葉はそういう形で、孫に寄り添っていたのでしょうね…。
私は、以前孫と若葉の寄り添う関係を記事にしたことがありました。
寄り添うことは共感を感じる無言のコミュニケーション
いつも楽しいことで、孫と接することが多いのに、今は孫に支えられているような気がします。
孫の一言一言が若葉に思えるくらい…。
若葉も微笑んでいる私といっしょにいたいのでしょうね。
若葉は、本当にやさしい子で、いつも家族の様子を見ながら寄り添ってくれる子でした。
犬がおもちゃを飼い主に持ってくるとき、遊びたいのかなぁ…と思いがちですが、実は飼い主や家族の笑顔を見たいからだと言われています。
イライラしているときやひとりで悩んでいるときなど、顔の様子をみて笑顔にしようと思っておもちゃを持ってきます。
若葉はドキンちゃんのぬいぐるみを持ってきました。
そのドキンちゃんは、今は私のポケットの中に入っています。
だから、私は若葉に笑顔を見せてあげたいと思うのです。
時間が止まってしまった
若葉には先天性の病気があったので、私は若葉をひとりにしたことがありません。
今は仕事も4時間で終わるようにして、自分の留守中は家族にいっしょにいてもらえるようにしていました。
寝るときも、ベッドの横にテーブルを置いて、並んで寝ていました。
10年間ほぼ24時間、いっしょに過ごしてきました。
その若葉が突然旅立って、私の時間が止まってしまい、寂しい・悲しい・苦しい…
その時間に慣れるようになりたくないのだけど、どうにかひとりで過ごす形をつけなければなりません。
私には、もうちょっと時間が必要です。
以前、愛する飼い主に再び会うために、生まれ変わるというストーリーの「ワンダフルライフ」を観にいったことがありました。
若葉は、また私といっしょに生活をしたいと、思ってくれていますよね…
動物との生活では、自分がお世話をしていることもあって、人間側がしっかりしなくては…と思うのですが、実はこの子達の存在はとても大きく、若葉との生活で、私達の時間が彩られ楽しく暮らしている…私はどれだけ小さな若葉に支えられて生きているのかと実感します。
孫が生まれて、必死に孫を守っている姿や、泣いている姿をみていると、そっと寄り添う…
そういう優しい気持ちを、孫たちも若葉から教えてもらったような気がします。
若葉は、小さな体ですが大きな…大きな存在の子
今までも…そして、これからも…若葉が残した、愛する人への“思いやり”や“寄り添う心”は、大切にしていきたいと思います。
まだ心が整っていないので、支離滅裂な記事かもしれません。
ごめんなさい。
このまま泣いて暮らすのは若葉が望んでいることではないと思うので、今度は若葉の気持ちに私が寄り添うようにしていきたいと思います。
虹の橋…若葉へ
愛しい…愛しい若葉へ
若葉…
ずっといっしょにいたかった
あなたがとても優しかったこと…
あなたがとてもがんばったこと…
ママちゃんのお膝で笑っているお顔…
あなたと過ごした日々…
ママの心の拠り所にしていくよ
若葉~抱っこおいで…
若葉
愛している…
ありがとう…
ママより